2010/12/11

経営戦略を問い直す / 三品和広


神戸大学経営学研究科の三品先生の「経営戦略を問い直す」を読みました。

応用しやすいことを目指して書かれた、実用的「経営戦略」論です。
世間では「戦略」がよく誤解/誤用されることを指摘したうえで、戦略についてのあるべき姿、その構成要素について語ってあります。

本書を読んだ目的

経営戦略の全体像をおおづかみにつかむ。「わかったつもり」だけど、いざ「作る」となるとなかなかできない戦略について考える。
MBA取得を具体的に検討する前に、MBAの限界についても知っておく。

目次

はじめに
第1章 誤信
第2章 核心
第3章 所在
第4章 人材
第5章 修練
あとがき

第1章で戦略についての現状とその問題点を指摘し、2章ででは戦略とは何なのかについて持論が展開されています。続く3章、4章では戦略の形成に関わる「人」について、最後の第5章で「まだ経営者になっていない3人の読み手」――学生、中堅社員、幹部社員についてのメッセージが書かれています。

キーポイント

私が本書から得た学びは主に次の4点です。
1.経営戦略の目的
2.経営戦略の構成要素
3.経営戦略が宿る場所
4.経営戦略のモト


1.経営戦略の目的
経営戦略の目的 = 長期利益の最大化

2.経営戦略の構成要素
経営戦略 = 立地 + 構え + 均整

3.経営戦略が宿る場所
経営戦略が宿る場所 = 経営者の頭の中

4.経営戦略のモト
経営戦略のモト = KKD = 観(K) + 経験(K) + 度胸(D)

ピックアップ

本書の中でココ!と感じたところをピックアップします。

戦略の一般論は簡単です。戦略の個別論も、後付けの説明なら簡単です。ところが、いざ応用となると、足がすくみます。特定の事業が置かれた立場に立ってみると、本当に難しいのです。
あとがきの中にある、数ある戦略論について書かれた一節。この問題意識を出発点として、本書で独自の経営論が展開されます。

同業他社には再現できない何かを盛り込む、そういうところに立ち向かわないかぎり、戦略にはならないのです。
同業他社もできるような衛生要因的なことを「戦略」と言っても大差にはつながらない、というお話。

戦略を「サイエンス」に昇華させようという動きが、いつの時代にも絶えません。(中略)
サイエンス信仰の根底にあるのは、主観を忌み嫌い、客観を尊ぶ一種の価値観です。(中略)
たとえば、近年のMBA人気。(中略)
(しかし)松下幸之助、本田宗一郎、井深大。トーマス・ワトソン・ジュニア、ヘンリー・フォード、サム・ウォルトン。洋の東西を問わず、人の名前がしっかり残っています。(中略)
ある会社を、あるタイミングで任されたとき、何をするのか。どんな手を打つのか。どこに立ち向かっていくのか。これは、まさに人によりけりで、再現性は期待できません。
この指摘にはハッとさせられました。本書を読むまでは、頭のどこかで「戦略はサイエンスだけでどうにかなる」と思っていたところがあります。認識を改めます。

戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読み取る心眼にあると言ってよいかと思います。もちろん、心眼は人に固有のものであり、そこに戦略の属人性が根ざしているわけです。主観に基づく特殊解、それが本当の戦略です。
戦略のフレームワークは、現実をモレなく認識したり、アイデアを人に説明したりするときに便利な道具でしかない。その道具をどう使うか以前の問題として「どう見るか」という問題がある、とのことです。

経営戦略がアナリシスの発想と相容れないのは、その真髄がシンセシス(統合)にあるからです。(中略)
統合は、一人の人間の頭の中でするしかありません。しかも、脳内の横連携がよくとれているという意味で、頭の熟成が進んでいる人を必要とします。手順を踏んで教科書を真面目に勉強すれば、アナリシスの力は確実に上達しますが、シンセシスの場合、コトはもっと複雑で、教科書のない世界で十年単位の鍛錬を重ねないと上達は見込めません。その意味においても、戦略はアートに通じます。
管理や問題解決はアナリシスで良いが、経営は統合である、とのこと。また、経営の能力は実地(経営の体験)の鍛錬を長期間重ねることでしか身につけられない、とのこと。

戦略とは何を意味するのか、百家争鳴のごとく諸説が乱立していますが、結局のところ、「立地」に「構え」を幾重にも重層的に絡め、その上で「均整」を取ることと考えれば、わかりやすいでしょう。

戦略は「立地」と「構え」と「均整」に凝集します。
戦略を3つの構成要素で説明した場合。「立地」なんかは、「事業ドメイン」「ポジション」という横文字よりも、実感があるわかりやすい言葉です。

豊かなポテンシャルに恵まれたという意味でビッグであるか、または競合がいないという意味でユニークであるか、どちらかに該当すれば望ましい立地と言えるでしょう。
「ブルーオーシャン戦略」なんて言葉もありますが、立地の善し悪しは「ビッグかユニーク」か。

戦略はどこに存在するのか。(中略)答は、経営者の頭の中です。組織や文書に戦略が宿ることなど、あり得ません。
この文章にも、ハッとさせられました。戦略は客観的でサイエンティフィックに説明できるもの、という認識を持っていると、その本質の一面しか見えなくなりそうです。。

予想外の新しい展開にリアルタイムでどう対処するのか、それが結果として戦略になる。これが私の暫定的な結論です。
起こりうることをすべて見通して「中長期戦略」を立てることなんてそもそもできるのか、というところからこの結論に。

事業を取り囲む今という時代をどう読むのか、それさえ定まれば、為すべきことは自ずと決まります。仮定は人によりけりでも、推論のプロセスを間違える人は少ないからです。その意味で、戦略の本質は「為す」ではなく、「読む」にあります。経営者が持つ時代認識こそ、戦略の根源を成すのです。
前出の「戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読み取る心眼にある」というのと同じ指摘です。論理で展開できる部分は誰がやっても大差なく、差が出るのは、前提条件の置き方、そのもととなるコンテクストを「読む」ということにある、とのこと。

(戦略を形成する個人の)判断のベースとなるのは、(中略)私は、観(K)経験(K)度胸(D)だと捉えています。
観と経験と度胸、略してKKD! 地に足のついた日本語を使うのが三品先生のポリシーなのでしょう。三品先生の本はこれが初めてですが、日本人として非常にわかりやすいです。私はついわかった風に横文字を使ってしまうので、、反省です。

日本では、管理をマスターしたら、その次に来るのが経営という発想が根付いています。これが違うのです。管理と経営は別物で、経営が管理の上に来るということはありません。守る管理と攻める経営では、純粋に機能が違うため、管理をマスターしても経営ができるという保障にはなりませんし、管理をマスターしなくても経営はできるのです。
管理と経営は別、というお話。

経営は何をもってするものなのでしょうか。答は事業観です。
これも前出の「戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読み取る心眼にある」ということをおっしゃてます。

感想

経営や戦略に対する誤解を私自身がしていたことが痛感できました。経営戦略は、管理ともリーダーシップとも異なる、「アートに近いこと」だという解釈にとてもスッキリしました。今後はもう少し慎重に「戦略」を観ることができそうです。

こんな方におすすめ
・経営に関心がある方
・日本ならではの経営のフレームワークが知りたい方

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